
近年、我が国におけるインフルエンザの流行は、開始時期が早まり、患者数の増加も急速化しています。インフルエンザの流行を根本的に理解し、効果的な予防法を考えるためには、まず「人がどのようにウイルスに感染するのか」という仕組みを知ることが重要です。
インフルエンザウイルスが人に感染する最初の一歩は、ウイルスが私たちの細胞表面に結合することです。ヒトの細胞表面には、「シアル酸」と呼ばれる糖を末端にもつシアル酸糖鎖物質が広く存在しています。これらは、細胞認識や免疫制御など生命活動に不可欠な役割を担っていますが、同時に、インフルエンザウイルスにとっては侵入のための“受容体(レセプター)”として利用されてしまいます。
インフルエンザウイルスの表面には、スパイク状のタンパク質が存在し、その先端にはシアル酸レセプター結合部位があります。ウイルスはこの部位を用いて、細胞表面のシアル酸糖鎖に特異的に結合し、細胞内へ侵入します。すなわち、シアル酸糖鎖への結合が成立しなければ、感染は起こりません。
特にヒトの間で流行するインフルエンザウイルスは、ヒトの細胞に多く存在する「α2-6結合型」のシアル酸糖鎖を正確に認識する性質を持っています。この結合様式は、ウイルスが変異を繰り返しても、感染に不可欠であるため、ほとんど変化しません。ここに、ウイルス感染の“弱点”が存在します。
一般的な感染対策としては、ワクチンや抗ウイルス薬がありますが、これらには限界があります。ウイルスは変異が速く、ワクチンが効かなくなる場合があり、また治療薬は発症後でなければ使用できません。さらに、ウイルスは宿主の細胞機構を利用して増殖するため、薬が人体に影響を及ぼすリスクもあります。
そこで注目されるのが、シアル酸糖鎖物質を「疑似レセプター」として利用する感染予防法です。この方法では、ヒト細胞のレセプターを改変するのではなく、細胞表面のシアル酸糖鎖とよく似た安全なシアル酸糖鎖物質を用意し、ウイルスを先に捕捉します。ウイルスは、この疑似レセプターに結合することで、本来の細胞表面レセプターに到達できなくなり、感染が阻止されます。
この方法の最大の利点は、ヒトの細胞に直接作用しないため安全性が高いこと、そしてウイルスが変異しても効果が失われにくいことです。なぜなら、ウイルスが必ず使わなければならないシアル酸レセプター結合部位を直接標的としているからです。実際に、季節性インフルエンザのみならず、鳥インフルエンザ、新型インフルエンザ、さらには新型コロナウイルスなど、多くのウイルスが同様にシアル酸糖鎖を利用して感染することが明らかになっています。
つまり、シアル酸糖鎖物質を用いた疑似レセプター戦略は、特定のウイルスに依存しない、普遍的な感染予防の考え方であり、将来のパンデミック対策としても極めて有望です。
私たちは、これまでの基礎研究と実証研究を通じて、シアル酸糖鎖物質がウイルス感染を安全かつ効果的に阻止できることを明らかにしてきました。今後も、この科学的知見を社会に還元し、ウイルス感染予防の新しい選択肢として実用化を進めていきます。