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  2. ⑧シアル酸発見と感染機構解明の歴史

前回は、インフルエンザウイルス感染に関わるNeu5AcとNeu5Gcという2つの代表的なシアル酸分子種についてお話ししました。

今回は少し時代をさかのぼり、そもそもシアル酸はどのように発見され、インフルエンザウイルス感染との関係がどのように明らかになっていったのか、その研究の歴史についてご紹介します。

シアル酸(sialic acid)の発見と、インフルエンザウイルス感染との関係の解明は、20世紀の糖鎖生物学およびウイルス学の発展を代表する重要な研究史の一つです。

特に1930年代から1950年代にかけて、Gunnar Blix、Ernst Klenk、George K. Hirst、Frank Macfarlane Burnet、Alfred Gottschalkらの研究によって、「インフルエンザウイルスは細胞表面のシアル酸をレセプターとして認識する」という現在の基本概念が形成されました。


シアル酸研究の始まり

シアル酸研究の出発点は、1936年にさかのぼります。

スウェーデンの生化学者Gunnar Blixは、ウシ顎下腺ムチンを弱酸処理した際に得られる未知の酸性糖を結晶として単離しました。彼は当初これをKohlenhydrat(炭水化物)と呼び、1952年に、唾液を意味するギリシャ語「sialon」に由来して「シアル酸(sialic acid)」と命名しました。この名称が現在まで広く使われています。

Blixが発見したこの物質は、現在のN-アセチルノイラミン酸(Neu5Ac)に相当するものでした。

一方、ドイツのErnst Klenkは1940~1941年頃、Tay–Sachs病患者の脳由来のガングリオシドを研究し、その加水分解物から別の酸性糖を単離しました。そして、これを「ノイラミン酸(Neuraminsäure)」と命名しました。

Blixが「シアル酸」という名称をギリシャ語で唾液を意味する「sialon」に由来させたのに対し、Klenkは脳の神経細胞(ニューロン)を由来として「ノイラミン酸」と名付けたことになります。


インフルエンザウイルスと赤血球の研究

1940年代になると、インフルエンザウイルス研究も急速に進展しました。

1941~1942年、アメリカのGeorge K. Hirstは、インフルエンザウイルスが赤血球を凝集させる「ヘマグルチネーション(hemagglutination)」という現象を詳しく解析しました。

Hirstは、ウイルスが赤血球表面へ吸着した後、37℃で再び遊離する現象を観察しました。この研究は、ウイルス表面に赤血球へ結合する分子、すなわち後に「ヘマグルチニン(hemagglutinin:HA)」と呼ばれる糖タンパク質が存在することを示唆する重要な成果となりました。


「レセプターを破壊する酵素」の発見

Hirstの研究に続き、オーストラリアのFrank Macfarlane Burnetらは1947年、インフルエンザウイルスが細胞表面の「受容体(receptor)」を破壊する酵素活性を持つことを発見しました。

彼らはこれを「receptor-destroying enzyme(RDE:レセプター破壊酵素)」と呼びました。このレセプター破壊酵素が、後に「ノイラミニダーゼ(neuraminidase:NA)」であることが明らかになります。

さらに1949年、Alfred GottschalkとLindは重要な発見を行いました。

彼らは、インフルエンザウイルスが卵白ムチン(ovomucin)から特定の糖鎖成分を遊離させることを示し、その糖がBlixの発見したシアル酸に類似した性質を持つことを報告しました。

この研究によって、「インフルエンザウイルスのレセプターはシアル酸を含む糖鎖である」という考え方が急速に形成されていきました。


HA・NAとシアル酸の関係が明らかに

1951~1952年にかけて、GottschalkはインフルエンザウイルスのRDEがシアル酸を切断する酵素であることを明確に示し、シアル酸こそがインフルエンザウイルスのレセプターの本体であると提唱しました。

この時代に、

「HAはシアル酸含有糖鎖へ結合する」

「NAはシアル酸を切断してウイルス遊離を促進する」

という、現在のインフルエンザウイルス感染機構を理解するうえで重要な基本概念の原型が成立しました。

1950年代半ばになると、シアル酸の化学構造解析も進みました。Blix、Klenk、Gottschalk、さらに日本のTamio Yamakawa(山川民夫)らが構造決定に取り組み、最終的にシアル酸が「N-アセチルノイラミン酸(N-acetylneuraminic acid:Neu5Ac)」であることが明らかになりました。


シアル酸の名称も統一されていった

1955年、Blixらはシアル酸研究を体系化しました。

さらに1957年には、Blix、Gottschalk、Klenkの3人が共同で命名法の統一を提案しました。

「neuraminic acid」を基本骨格、「sialic acid」をそのアシル化誘導体群の総称とすること、またシアル酸を切断する酵素を「neuraminidase」または「sialidase」と呼ぶことが提唱されました。

そして1958年には、Gottschalkがインフルエンザウイルスのノイラミニダーゼ研究を総括しました。


現在の感染・パンデミック研究の基盤へ

このように、1930年代から1950年代にかけての研究によって、

Blixによるシアル酸の発見、Klenkによるノイラミン酸研究、Hirstによるヘマグルチネーション現象の解析、BurnetとGottschalkによるRDE(ノイラミニダーゼ)の発見、そしてシアル酸含有糖鎖がインフルエンザウイルスのレセプターであることの解明へと、研究がつながっていきました。

この研究史は、現在の「HA-シアル酸結合」と「NA-シアル酸切断」というインフルエンザウイルス感染機構を理解するための基盤となっています。

さらに後年には、ヒト型受容体であるNeu5Acα2-6Galと、鳥型受容体であるNeu5Acα2-3Galの識別研究へと発展しました。

こうした一つひとつの発見の積み重ねが、現在のウイルスの宿主域変異やパンデミック研究へとつながっています。

静岡県立大学名誉教授・鈴木康夫


【参考文献】

  1. Lundblad A. Gunnar Blix and his discovery of sialic acids. Fascinating molecules in glycobiology. Ups J Med Sci. 2015;120(2):104-112. doi: 10.3109/03009734.2015.1027429.
    論文を読む(PMC)
  2. Klenk E, Liedtke U, Gielen W. Das ganglioside des gehiruns bei der infantilen amaurotishen idiotie vom typ Tay-Sachs [Brain gangliosides in infantile amaurotic idiocy of the Tay-Sachs type]. Hoppe Seylers Z Physiol Chem. 1963;334:186-192. doi: 10.1515/bchm2.1963.334.1.186.
    論文情報を見る(Europe PMC)
  3. Hirst GK. ADSORPTION OF INFLUENZA HEMAGGLUTININS AND VIRUS BY RED BLOOD CELLS. J Exp Med. 1942;76(2):195-209. doi: 10.1084/jem.76.2.195.
    論文を読む(PMC)
  4. Burnet FM, Stone JD. The receptor-destroying enzyme of V. cholerae. Aust J Exp Biol Med Sci. 1947;25(Pt 3):227-233. doi: 10.1038/icb.1947.33.
    論文情報を見る(Europe PMC)
  5. Gottschalk A. Structural Relationship between Sialic Acid, Neuraminic Acid and 2-Carboxy-Pyrrole. Nature. 1955;176:881-882. doi: 10.1038/176881a0.
    論文を見る(Nature)
  6. Varki A, Cummings RD, Esko JD, et al., editors. Essentials of Glycobiology. 4th edition. Cold Spring Harbor (NY): Cold Spring Harbor Laboratory Press; 2022.
    書籍情報を見る(Cold Spring Harbor Laboratory Press)
  7. Blix FG, Gottschalk A, Klenk E. Proposed nomenclature in the field of neuraminic and sialic acids. Nature. 1957;179(4569):1088. doi: 10.1038/1791088b0.
    論文情報を見る(PubMed)
  8. Gottschalk A. The influenza virus neuraminidase. Nature. 1958;181(4606):377-378. doi: 10.1038/181377a0.
    論文情報を見る(Europe PMC)